医療法人社団 日翔会

介護職からまさかの管理者へキャリアアップ

上野 恵美子さん

法人名 医療法人社団 日翔会
入職年 2005年
療養型病棟で介護士として働いていた上野さん。自分が理想とする介護を求めて日翔会へ入職。「米子ヘルスケアつつじ」の所長を経て、現在は6つの事業所をまとめる統括責任者。

利用者さんと1対1で関われる
自分が理想とする介護を目指して

日翔会が米子にグループホーム・デイサービス・居宅介護支援事業所などが併設された複合施設を立ち上げる際に、所長だった方に声をかけていただき入職しました。もともと療養型病棟で介護士をしていたのですが、もっと利用者さんと1対1で話ができる介護をしたいと考えていた時期だったため、本当にタイミングが良くて。すぐに入職したいと伝えました。
正直なところ、入職するまで日翔会や湖山医療福祉グループのことは知りませんでした。新規施設に入職してくる職員のための研修を組み立てながら、私も湖山医療福祉グループの理念や法人について知っていく毎日。「自らが受けたいと思う医療と福祉の創造」という理念がいいなと思いましたし、その先に「こやまケア」があると聞いて、この法人なら自分の理想とする介護ができるのではないかと感じました。当時は利用者さんと一緒に電車に乗って美術館へ行ったり、自分たちで献立を考えて買い物に行って調理したりと、すごく楽しかったのを覚えています。

リーダーを経て
立ち上げに関わった「つつじ」の所長に

「つつじ」にオープニングスタッフとして入職してきた職員たちは介護経験が浅い方が多く、経験が長かった私がリーダーを務めることに。経験のないスタッフが多いと大変でしたが、私が職員に「こうしてみようと」と提案すると、一緒になってやってくれる方ばかりで、すごく働きやすい環境でした。グループホームでの仕事が本当に楽しかったです。
しばらくして私を日翔会に誘ってくださった所長が体調を崩されて退職するタイミングで、理事長から所長をやってもらえないかというお話をいただきました。何度か断ったのですが、「上野さんが引き受けてくれないなら東京から誰か連れてくる。そうしたら上野さんのやりたいことができなくなるよ?」と言われ…。今思うとうまく乗せられたなと(笑)そこから所長業務を引き受けるようになって今に至ります。
介護職で入職して、まさか管理者になるとは思ってもみませんでした。パソコンも使えない、管理業務もわからない人間が人の上に立つというのが、自分の中ではとても大変でしたね。

地域との関わりを大切にした
施設づくりを次の世代にも

日翔会に入職してから、人に恵まれた17年だったと思います。わからないことがあれば周りの人が教えてくれましたし、「大丈夫、一緒に頑張ろう!」と言ってくれる職員もいて本当に支えられました。私が所長になってから、別の場所にもグループホームを建てたのですが、それを公募で取れたときは嬉しかったです!無理かもしれないと言われていたところだったので…。
「米子ヘルスケアつつじ」にはオープニングスタッフとして入職したため立ち上げには携わっていないのですが、理事の話によると、この地に施設ができるのを最初はすごく反対されたそう。米子には大きな法人がいくつかあって、当時、日翔会は「米子ヘルスケアつつじ」だけでした。どうやって地域に馴染んでいけばいいかというところから始まり、祭りをしたり回覧板を使わせてもらったり、そういうことを地道にやってきたら町内のイベント時に声をかけてもらえるほどになりました。このまま地域との関わりも大切にしながら、次の世代にも引き継いでいこうと思います。
(本イタンビューは2023年3月に実施した内容です)